お金さまとフォロワさま
お金は寂しがり屋だからお金のある所に集まってくる。よってお金を集めるには、まずお金を集めなくてはならない。
と、かの大落語家枝雀氏が枕で仰っていたが、まさにその通りだと思う。
お金だけでなく「数字」が数字を好み集まるのだろう。それは結果論としてだという者があるかもしれないが、私はあながちそうとも言い切れないと思う。
snsなどでイイネやフォローを受けた時、まず真っ先に目がいくのが相手のフォロワー数ではないだろうか。
いくらプロフィールに立派な事が書いてあっても、真にその人に実力や人徳があっても、見ず知らずの他人様からコンタクトされた場合かかわりのない私達には興味の無いことである。
しかし、其処に目に見える資産、信頼と言い換えても良いだろう。を見せられるとどうだろう、見ず知らずの人は途端に「多くの人に認められた信用できる人」に変わるのである。
これは当たり前のようで実はそうではない、実際数字など幻想に近い代物でいくらでも改ざん出来てしまう。
しかし純粋な私達は間に受けそのインフルエンサーを受け入れてしまいがちなのである。
ただ、指標になるのには違いないし少なくとも多くとも悪いわけではない。
いつか人は自分自身の肉体や精神も数値化し、データの集合体としてネットの海に航海に出るのだろうか。