宇宙の端っこ。の壁。

疲れていると宇宙について考えたり想像したりする事が多い。

生存本能が働き現実逃避しているのだろう。

しかしね、ほんとに、宇宙の先端ってどうなっているの?

昔、地球は平たんで端は大きな滝になっており地面の下は巨大な象が支えていると考えられていたと聞いて鼻で笑っていたが、最近ではそんな私を神様が笑っている気さえする。

「宇宙の先端とか何言ってんのあのガキ、ほんと知能低くて草」「先端なんかねぇよ時間と空間を捻じ曲げながら膨張と収縮を繰り返してんだよダボが」「ブラックホールに顔ねじ込んで二度とふざけた事言えねー様にしてやろうか」とか言われてるに違いない。

それほどに不可解で不思議で、論理主義者の私にとっては凄くきもちがわるいことです。

実は現在観測可能なところから十数メートル先に鏡状の壁があってまあ四角は無いだろうから、やっぱ球体かな。の中に今現在の宇宙があってその壁を壊そうとするとその振動で写り込む自身の姿が揺らぎ、ふと目をやると写っているはずの自分がいない、しかし、目の前に確かに壁はある。自分の外側にあるものは認識できているが、どうも自身の存在が確認できない。明らかに肉体といわれるものは無い。思考、精神だけが宇宙を漂っている。そして次第にこの状況を受け入れ、外界との区別をする事に意味がないと気付き、思考することをやめ、ただ、空間を漂うデータとなって、この宇宙の一部、否、そのものとなり、悠久の時を経て、、、、、っと。意識がトびそうになっていた。

 

今日私にはまだ仕事が残っている。

現実に帰ってきた私は目の前にある書類の山をみてうんざりしたが、顔を洗ってもう一踏ん張り、と一念発起。洗面所に行き二、三度顔に水を叩きつけ、さあやるぞと顔を上げふと鏡を見た。

そこに私は写っておらず本来写るはずのない私の真後ろにある観葉植物がゆっくりと風に揺れ、

此方へおいで、、

おいで、、

と手招きしているばかりであった。